honeyman’s diary

いや~ ブログ始めちゃったよ・・・

あとがき

 

先程の記事で吐き出してみると、母の苦悩がなんとなくわかってきます。

 

あの当時のこの国には、多くの古いしきたりがあり、良妻賢母なんてことは、その最たるものだったのだと思います。

 

義務もあったでしょう。世間体を気にした行為もあったでしょう。しかし、母は最期まで母親という役目を果たし、今も尚それは継続されています。

 

本当の母は、専業主婦ではなく、社会人として働いていく女性を望んでいたのかもしれません。キツい言い方をすれば、その芽を刈り取ったのは父であり、その原因は子供のことを考えての見解だったのもわかります。

 

なかなか笑えるところなんですが、父はどんな時でも自分が正しいと疑いません。自分を曲げることが出来ない人です。

 

父は会社員として大成し、うちは経済的に裕福な家庭でした。

 

しかし、ウチの家庭はちょっとヘンでした。

 

家庭なのに、家族なのに、なんだか本当のことを言える環境ではありませんでした。

 

父は自分の価値観以外をアンチテーゼする人なので、私はよく母に相談していた様に思います。

 

しかし、如何せん母は社会人としてのキャリアがありません。その中で母なりに考えたことを私は信用し、母の言うことだから正しいと思っていた様に思います。この時点で私が親に依存しているモラトリアムなことが浮き彫りになりますね。また、それでもわからない時は、父に尋ねることになりますが、父はわからないと言いません。それは答えられないと息子に悪いと思い言わないのではなく、わからないことはわからないと言う度量が無かった様に思います。

 

きっと父がやるべきだったことは、わからないことはわからないときちんと息子に伝えることだったのではないでしょうか。

 

私は子を持つ父親ではないので、その気持ちは憶測でしかないのですが、なんでも答えられるという父なりの父親像があったのだろうと思います。

 

・・・と、まとめてみると、自分が間違って父を理解してることに気が付きます。そして別のことを思い出すんです。

 

以前父が「そんこと自分で考えろ」と言った様な気がします。それを受けた私は、きっと困惑したのでしょう。それも見た父は、その発言をしなくなったのかもしれません。ただ、はっきり覚えている父の言葉があります。それは、「俺はそんなに父親と話さなかったよ」です。

 

母からよく聞かされていましたが、父は祖父とあまり仲が良くなかったそうです。その理由も当然あると思いますが、父が言いたかったのは、自分はもっと自分で模索した、ということだったではないでしょうか。

 

いつもこのブログでは、両親のことをはじめ、過去の友人や同僚について、痛烈な罵詈雑言を、けたたましく綴っていますが、現実の世界では当然そんなことは言いません(笑) まぁ そりゃそうですが。

 

それでも、このブログで綴ってきている内容は、私の赤裸々な自分を曝け出しているので、嘘偽りはありません。漆黒の闇を連想する内容もまた、私自身なのです。

 

私は私のことがあまりわかりません。

 

でも、このブログを綴ることで、少しずつ、自分と自分が融合していく感覚があります。

 

仏教では無我を、西洋哲学では自己同一を。

 

この国はユニークな環境なので、多種多様な概念が交錯しています。それでも成り立っているこの国は、結構素敵な国なのかもしれませんね。

 

ただ、私はこの俗世で生きていくと決めています。なので、仏教の無我は教養として取り入れて、現実は自己同一を目指そうと思います。

 

どなたか有名な方のお言葉でしたが、「私に敵対していた方々、私の人生を彩ってくれてありがとう」という様な内容を言っていたのを覚えています。

 

今の私はそこまで到達しておりませんが、私にとって大切な言葉と感じています。

 

この世界って・・・の続きは、

 

そんなに悪くないよね。

 

だと思います。

 

いつか私の中の正の感情や負の感情、過去や将来、現実の自分、いろいろなものが融合し、自己が確立された時、

 

その時は・・・

 

 

 

赤飯でも炊こうかね(笑)

 

 

 

間違ってはいないよね。俺の初潮みたいなもんでしょwww